西野カナ✕slipknot=会いたくて震える?

先日薬局で買い物をしていると、ある女性アーティストの歌が耳に飛び込んできた。

キャッチーでポップでやたらと軽快な曲調に乗せ歌声が響く。

メロディーを聴きながら、歌詞にも耳を傾けてみる。

「毎日毎日朝起きてお化粧して」

「1週間は意外と長い」

「なんでまだ水曜日」

…まるで日記のような歌詞が続く。

「炭酸みたいにシュワッと弾けたいの」

やっと出てきた比喩表現でさえこんなものである。

一体何なのだこれは?

全く刺さらない。

歌詞が心に届かない。

まだ鉄板の上のたい焼きの気持ちのほうが共感できそうだ。

それもそのばず。

そう、この歌の主は10代〜20代女子に絶大なる支持を受ける女性シンガー、西野カナであるからだ。

軽薄でありシンプル。その上非常に薄味で珍妙な歌が、10代女子のハートをがっちりつかんで離さない。

持ち味は圧倒的没個性。

彼女の書く歌詞には詩的な表現や心の機微をとらえるような描写はなく、女子中学生の日記のような内容が大半を占める。

「愛してる」を「愛してる」って言っちゃう。

「会いたい」を「会いたい」って言っちゃう。

どう前向きに評価しても

「安直」

それ以外、形容のしようがないほどだ。

量産型なんて揶揄される事も少なくない。

今や彼女の詞を語るうえで外すことのできない

”会いたくて震える”

という迷言まで生み出した、ナンセンスリリックのパイオニアである。

この一言のインパクトたるや。

個人的には後世に語り継がれるべき名言だと思う。

では彼女は一体どのようにして、この直情的で平易な歌詞を作り上げているのだろう?

彼女のルーツを探ってみた。

西野カナの経歴

西野カナは三重県出身。

たしかに三重県ぽいといえば三重県ぽい。

どこが?と問われれば、醸し出すすべてが三重県ぐらいの田舎っぽさなのだ。

十分伝わるハズだ。

ビジュアル的にも、三重の美人あたりにしっかり収まっている。

三重くらいの田舎の中学生でなければ書けないような純朴さが、彼女の歌詞からは垣間見える。

それは東京の小生意気な中学生がとうてい持ち合わせていないものだ。

まさに地の利である。

そんな西野カナも実はすでにアラサー。

20歳そこそこであれば、語彙のなさも仕方なしと擁護もできるが、アラサーである。

痛々しさに拍車がかかるのは避けられない。

音楽のルーツ

では彼女が影響を受けたアーティストはどんなものか?

きっとそこにヒントがあるはずだ。

さっそくWikipediaに頼る。

西野カナにかける労力は最小限であるべきだ。

中学生から大学1年生頃までレゲエに傾倒。アメリカ留学後は洋楽にもはまり、クリスティーナ・アギレラ、ジェニファー・ロペス、シアラなどの女性歌手をはじめ、ヒップホップ、R&B、レゲエとジャンルレスで音楽に夢中になった。 普段は日本のポップスはあまり聴かず、ジャパニーズレゲエなどのちょっとインディーズっぽいものを好む

引用:Wikipedia

Wikipediaによると、どうやら彼女は普段あまりJ-popなどは聴かないらしい。

彼女をテレビでしか見たことのないような人間には意外に思える。

西野カナのレゲエ。

西野カナのR&B。

西野カナのhip-hop。

「三重県生まれコンビナート育ち 」

「バカそうなやつはだいたい友達」

なんて歌うのだろうか。

それはそれで見たみたい気もするが。

少し興味がわいてきたのでもっと彼女のことを知りたいと思い、ネットをさまよう。

そこである衝撃の事実が目に飛び込んできた。

衝撃の写真

ここに一枚の写真がある。

そこに写されたのは、まだ10代であろう西野カナその人である。

ずいぶんとパンクな出で立ちである。

“会いたくて震える”

ような人物には到底見えない。

がっつりメロイックサインなんかしちゃったり。

そしてこのインタビューで彼女は好きなアーティストについて、こう答えている。

「わたしSlipknotとか好きですよ」

Sllipknot?

あの西野カナが?

どう考えても結びつかない。

 

Slipknotをご存知ない方の為に説明すると

スリップノット (Slipknot)とは、アメリカ合衆国で結成された9人組ヘヴィメタルバンド。
バンド名直訳は、『引き結び(輪が絞まる絞首刑や動物捕獲の結び方)』。あらゆるスタイルを融合させたヘヴィミュージックを得意とし、2000年代から世界各地で人気を博す。各メンバーが、それぞれ異なったユニークなマスクを被ってパフォーマンスをすることで有名

引用:Wikipedia

さらに

日本では最大の敬意と特徴を表して、“猟奇趣味的激烈音楽集団”というキャッチコピーが付けられている。

引用:Wikipedia

とある。

猟奇趣味的激烈音楽集団

主張する要素が多すぎて逆にイメージぼやけてくる。

 

見た目はこんな感じ

 

 

歌はこんな感じ

 

やはり猟奇趣味的激烈音楽集団がしっくりくるようだ。

どうしたってトリセツとか言っちゃってるアラサー歌姫とは結びつかない。

実は我々は西野カナの手の中に

なぜこのような彼女が、アタマお花畑のような歌詞を書くに至ったのか、僕の好奇心は抑えられなくなってしまった。

すっかり西野カナに夢中だとの指摘があるかもしれないが、絶対に認めない。

さらに調べを進めていくと、ある1つの結論にたどり着く。

どうやら彼女の歌詞は、ターゲットに合わせ十分なリサーチの上に作られたものであるとの情報をキャッチした。

それは彼女の書く歌詞が、純粋に自身の内面を紡ぎ出したものではない事を意味する。

意図的なのだ。

どういうことかと言うと

まず、彼女自身が伝えたいことよりも、10代女子が好みそうなシチュエーションを想定する。

そして映画の一場面のように情景を練り上げ、共感を呼べるような歌詞を作り上げているというのだ。

ひらたく言えば、ガールズあるあるだ。

理想の恋愛を代弁するアーティストを演じ、女子たちの日常とシンクロさせることで、意図的に共感を作り出しているのである。

これは驚くべき事実だ。

こちとら、こんなうっすーい歌詞を書くくらいだから、さぞ頭はお花畑なんだろうなと決めつけてかかっている訳である。

それをカナのやつはすべてお見通しとばかりに、自らがピエロを演じ、一段高いところからまんまと踊らされた愚民を見下ろしあざ笑っていたのだ。

うっすーいのはお前だと言わんばかりに。

振れ幅が異常

さらに驚くのはその振れ幅だ。

なにせSlipknotだ。

彼らの歌詞なんて

「民衆くたばれ」

みたいなことをガヤガヤやってる感じだ。

それがひるがえって

会いたくて震える

になる。

最先端の人工知能を持ってしても、予測できない結末であろう。

西野カナのポテンシャル

ここまで調べて分かったことは、西野カナ本人はどうやら求められる西野カナ像を演じているのではないかということ。

10代女子が好みそうなシチュエーションや場面を想定し

「こういう時ってせつないよね」

的なものを先回りし拾い上げる。

それを歌詞にし歌い上げることで、圧倒的共感を呼び10代のカリスマにまで登りつめたのだ。

今の彼女があるのは徹底したリサーチや戦略に基づいた、努力の賜物なのではないのか?

彼女はあえて個性を消し、誰にでも共感できるような、安直で平易な歌詞を意図的にチョイスしている。
とんだ策士である。

西野カナの成し遂げた偉業。

それは没個性を貫くことが、圧倒的個性になることを示した稀有な例ではないだろうか。

僕は西野カナを誤解していたようだ。

いや、僕だけじゃない。

世間はもっと西野カナを誤解している。

きっと西野カナの手にかかれば、ヒップホップだろうがレゲエだろうが、すべて西野カナのカラーに染めてしまうにちがいない。

彼女にはそれだけのポテンシャルを感じずにはいられない。

しかしだ。

西野カナがどれだけ戦略家でも、さすがにアラフォーのおっさんの心に響くことはない。

理由は明快。

彼女のターゲットではないからだ。

そんなことは西野カナも織り込み済みだ。

心躍るような恋などあるばずもないし、切ないという感覚さえ、もはやどこかへ置き忘れてしまった気がする。

おっさんは毎日を仕事に終われ、そんなガールズあるあるに共感している暇などないのだ。

私が西野カナについて調べたことは以上だ。

結局、彼女について調べるうちに1日が終わってしまった。

もちろん明日も仕事だ。

でも今日はまだ水曜日。

1週間は意外と長い。

なんとか乗り切らなくては。

もう夜もふけてきた。

そろそろ眠ろう。

休日はどうやって過ごそう。

たまにはシュワッと炭酸みたい弾けたい。

そんなことを思いながら床につく。

アレ?